a small,good thing
EURO2016
2016.07.10 Sunday - comments(1)

パリに到着してすぐ、鹿島アントラーズの1stステージ優勝を知った。ホテルにチェックインすると、トランクから赤いユニフォームを取り出し、浮き足だって町に出た。


4年に一度のEUROは、ヨーロッパ最強国を決める大会で、今年はフランス国内10都市が会場になっている。だから大会期間中、サポーターはフランス国中を飛行機や電車を駆使して移動する。ブラジルワールドカップのときも、そんなふうにして出発から帰国まで17フライトを乗り継いだ。ブラジルに比べたら、フランスはだいぶ難易度が低い。ただ、テロに対する厳戒態勢の様子はニュースでも知っていたから、今回の旅はいつも以上に気を引き締めて出かけることになった。


私が取っていた試合のチケットは、パリ、マルセイユ、ボルドーの3都市、Round 16とQuater Finalということで、どの試合もチケットを買う時は対戦国が決まっていなかった。パリ・サンドニの試合は、グループリーグを勝ち上がってきたイタリアvsスペインに決まった。どちらも優勝候補で、これはもう決勝戦みたいなカードだ。偶然、取っていたチケットとはいえ、このカードが決まった時は思わず声が出てしまった。サンドニというパリ郊外の町で、8万人の歓声に包まれるスタジアムを想像した。


マルセイユは2013年の冬に一度訪れた。その時に見学したかったスタッド・ヴェロドロームは、このEURO開催に向けて工事中だった。3年後、EUROで必ずこの町にまた来よう、完成したスタジアムで観戦しようと決めていた。ここでのカードは、ポルトガルvsポーランド。人並みだけれど、Cロナウド、レヴァンドフスキの活躍を期待した。


ヌヴォー・スタッド・ドゥ・ボルドーは、このEUROのために新しく作られたとても美しいスタジアムだ。森をイメージしたという無数の柱と、フラットな屋根の直線が印象的だ。パリとマルセイユは行ったことがあるけれど、ボルドーは名前しか知らない。世界遺産のその町を、一度見てみたかった。そして、ボルドーでぜひボルドーワインを飲みたいと企んでいた。

このボルドーで試合を見た翌日に帰国する。最後のカードは、サンドニでの試合を勝ち上がったイタリアとドイツに決まった。私が見たかったドイツ代表!

 

パリに着いてすぐ、メトロでエッフェル塔へ向かった。FAN ZONEの会場が近くなるにつれて、サッカーファンが増えていく。だけど、私の赤いユニフォームには誰も目もくれない。23番植田選手のユニフォームを着ていたので、時々背後から「ウエダ!」と声がする度に、笑顔で振り返った。大スクリーンでウェールズvs北アイルランドを見ながら、シャンパンを飲んだ。鹿島アントラーズ、1stステージ優勝おめでとう。

 

夜、ホテルに戻ってから初めてパリを訪れた日のことを思い出していた。あれは2002年、14年前のことだ。休みもなく働いて働いて、仕事する手を止めたら死ぬんじゃないかという強迫観念さえ感じていた頃だ。体もボロボロだったし、心が病んでいた。早朝、シャルル・ド・ゴール空港に到着して、朝靄の中をロワシーバスでオペラ座まで。初めてのヨーロッパ、バスの中で震えていた。

 

この日、あのときと同じロワシーバスに乗った。14年が経って、私はもう震えたりしない。年を取ってサッカーが好きになって、サッカーの町で暮らしているとか、そんな未来が待っているなんて想像もしなかった。

 

1606 EURO2016 FRANCE
九十一歳初観戦
2016.06.24 Friday - comments(1)

この家ができたら仮設住宅で暮らすばあちゃんを呼びたいと思っていた。そして、一緒にカシマスタジアムでサッカーを見たいというのが、今年の大きな目標だった。それが4月に叶ったときの話。

 

九十一歳初観戦

 

a small, good thing
ゴッドハンド
2016.06.24 Friday - comments(4)

久しぶりに書こうとしたら、自分の置かれている環境が大きく大きく変わっていた。この変化に自分自身がついて行けていない。

 

1/27、引っ越しをしたら家が未完成だった。壁紙も貼っていなければ、コンセントもない。つまり真冬にエアコンが使えないどころか、仕事も生活も完全NGという有り様だった。トイレが部屋の真ん中にドーンと置いてある。水も出ない。キッチンなどの住設機器も設置どころか発注すらしていない状況だった。とにかく、工務店と建築家に対して言いたいことは山ほどあったけど、この日から私はホテル暮らしを強いられた。

 

この辺は、鹿島臨海工業地帯といって、約160の企業が集中している。そのこともあって、ホテルというホテルは軒並み満室に近い。工事がまだまだ続くと聞いて、2ヶ月ほどマンスリーマンションにでも住まなきゃいけないのかと覚悟を決めて電話をすると、入居率100%という驚異的人気エリアだと知って撃沈した。

 

日々、空室のあるホテルを探し回っては転々として、精神的にも肉体的にも消耗していった。2月上旬には、遂に体を壊して救急車の世話になった。工事中、覚悟を決めて家に住むようになってからも、毎日家の周囲には職人さんたちの車が10台近く集まっていて、仕事どころか生活すらままならなかった。仕事机の横では、けたたましい音を立てて溶接をしている。養生したビニールの中で、らせん階段を削ったりペンキを塗ったりしているのだ。

 

そんなふうにして完成した鹿嶋の家は、3/30にひとまず完成となった。6/24現在、まだ室内ドアの鍵が設置されていない箇所があって、ドアに穴が空いている。私はもう怒る気力もなくなく、工務店からの連絡をずっと待っている。

 

 

今日はそんなことを書こうと思ってこのページを開いたわけではない。明日から久しぶりに旅に出るので、なんとなくまた書き綴りたいなと思ったのだった。私の体は積もり積もったあれこれによってだいぶ悲鳴をあげている。30分ほど歩いただけで腰に激痛が走るという状況で、果たして飛行機に乗れるのか?自分の荷物を持って歩けるのか?あらゆる不安があったものの、この町には「ゴッドハンド」の先生がいるからと安心していた。この先生の手にかかれば、どんな人でもあっという間に痛みは去り、長年の苦痛から解放されるのであった。「鈴木さんも一回行ってみて」と紹介してくれたのは、鹿島アントラーズの選手だった。彼だけでなく、アントラーズの選手たちはみんなこの先生にお世話になっているというし、ジーコもキングカズこと三浦知良選手もここに通っていたという。待合室の座敷には、一際目立つサインがあった。元巨人の清原のサインだった。「残念なことになっちまってなあ」と先生は言った。


旅に出る前に、ゴッドハンドの先生のところで体をメンテしてもらおうと思っていたところ、先生が階段から落ちて骨折してしまったと聞いた。今月は治療は無理だという。大ピンチだった。目が覚めると痛みに気づく。立っていても痛いし、座るともっと痛い。とにかく、居ても立っても居られない痛みは、ストレッチすらできないほどで、もう自分の手には負えなかった。

 

 

鹿嶋から東京へはバスで90分〜120分ほどだ。今でも時々東京を訪れる。杉並区に長く住んでいたので、買い物といえば新宿だった。だから自然と今でも新宿へと足を運んでしまう。そこで、カイロプラクティックの先生にすべてを託すことにした。先生にはとにかく「歩けるようにしてください」とお願いした。整体、マッサージ、鍼、クラニオセイクラル、アーユルヴェーダ、あらゆる治療がある中で、様々な方法を試してきたけれど、今回カイロプラクティックを選択したのは、骨格のバランスが滅茶苦茶になっていることを自分で把握していたからだ。筋肉のバランスも悪い。それは、日々の仕事の姿勢も原因していると思う。腰への負担を軽減させるために、体全体のバランスが崩れ、普段から首が傾いていた。今まで通っていた杉並区内のカイロは、施術に物足りなさを感じていた。それで、今回新しい先生を頼ることにした。旅の出発まで時間がなかったから、一種の賭のようなものだった。

 

先生は私の話を一度も否定することなく、すべて聞いた上でつま先から頭まで時間をかけて調整してくれた。すべてが終わったあとで、骨格模型を使って私の体が今どんな状態になっているのかを、わかりやすく説明してくれた。骨盤が寝ている状況で、左側が上がっている。さらに、マウスを持つ右側の骨盤が前に出ている。体全体でバランスを取ろうとして、首が右に傾いている上に、頭全体がねじれていた。それでようやく痛みの原因を知った。

 

「今まで固まっていた筋肉を緩めたので、2〜3日はちょっと注意してくれださい」と言われた通り、それから2〜3日は腰の激痛に耐えていた。失礼ながら先生を疑ったりもした。ところが、しばらく経って痛みはほとんど消えた。2回目の施術では「腰の方はだいぶ良くなっていて、問題は首の方。今回は首に痛みが出るかもしれない」と言って、念入りに首のメンテナンスをしてもらった。メキメキと妙な音が脳みそに響く。

 

今、随分と長い間、左腰の奥の方にあった「何か」をほとんど感じなくなっている。体をひねると激痛が走ることももうない。こういう体のことは、施術方法や先生との相性も大事だ。私は、ギリギリのところで西新宿整体院の三上先生と出会えて、幸運だった。顎関節症の治療もあれこれ試してみたけど、結局この整体院で全身の施術をしてもらった後、気づいたら口がきちんと開くようになった。耳の前に手を当てて、顎が左右同時に開くように意識して口を開けたり閉じたりしてみる。どんなにやっても、顎が片方ずつ開いていたのが、今は同時に開いている。これはちょっと感動するほどだった。右の顎に至っては、開く度にバキッ!という音が鳴って煩わしかったが、長年のその「音」が今のところなくなっている。

 

若いときは、1日10時間歩いても全然平気だった。年齢を重ねて、今までのような旅ができなくなるのが恐いと思うようになってきた。今回で最後かもしれないなと思いながら、EURO2016フランス大会を見に行く。

1606 EURO2016 FRANCE
小さな映画館
2016.01.19 Tuesday - comments(0)
2015/10/25
一人暮らしで寝込むと、ああもうこのまま死んでしまうんだ、誰にも発見されずに、白骨化して静かにこの世から消えていくんだ、とひどく弱気になる。家族がいる人はいいなとずっと思っていた。特に3年前のあの日はきつかった。一人で入院支度をして病院に赴き、手術を受け、意識が戻ってすぐ車椅子を押されてお会計を済ませ、一人で退院手続きをしてヨロヨロと帰宅するというあの経験は、心も体もついていかなかった。誰かに助けて欲しいと思うことは多々あるけれど、あの日は心の底から誰かを必要としていた。でも、今までも何だって一人で乗り越えてきたし、これからも乗り越えていくしかない。結婚しないということは、そういうことなのだ。

私の人生には「家族のあたたかさ」というものが完全に欠如していたから、正直憧れもあった。とはいえ、私はこれからもたぶん一人で生きていくと悟る年齢になったので、鹿嶋の家はインフルエンザで寝込んでも快適に療養できる仕組みをつくる。プロジェクターでサッカーや映画を見るためのミニシアター計画だ。

当初は、玄関横の下駄箱上部にプロジェクターを仕込む予定だった。ところが、空間ができてくると、プロジェクターの映写距離が1.7mと近すぎて、57インチ程度の大きさにしか映せないことがわかった。プロジェクターは映写距離に応じて、スクリーンサイズが決まってくるので、もう少し距離を取らないと画面が小さい。これじゃあテレビとあまり変わらないじゃないか。しかも、映写角度に無理があった。私のインフルエンザ生活は、絶望的だ。短焦点のプロジェクターであれば、2m程度の距離でも大画面で映写できるようだったけど、デザインや機能に納得がいかなかったし、何よりも予算オーバーだった。

この計画のために、吹き抜けの南側はほとんど窓を付けなかった。そのせいで、この家はちょっと暗すぎるのでは?と心配になるほどだったが、そこは建築家がちゃんと考えてくれて設計してくれている。とはいえ、プロジェクターが映せないのなら、南側に大きな窓を付けたかった...。

現場で「この計画は失敗だ」「私は一人静かに死んでいくんだ」と投げやりになっていると、現場監督の北澤さん(レイザーラモンRGに激似)が、「プロジェクターを下駄箱に仕込むんじゃなくて、上から映せばいいじゃないですか。ちょうど寝室にPC机があるんだし、その一番上の棚にプロジェクター置いたらどうです?」と天才的提案をしてくれた。

映写距離は4m前後。この距離だと120インチで映写できる。でかすぎる。しかし、スクリーンにする壁の大きさは、ちょうど120インチだった。完璧じゃないか。建築家の宇野さんが、プロジェクター設置の棚板を引き出し式にして、100インチくらいに映すようにしようかと、また天才的提案をしてくれた。私はいつ寝込んでも快適にサッカーが見れる。老後も安心。スピーカー付属のウーハーを置く棚板は、重低音の振動に耐えられるようにしておかないとね、とあれこれ図面にメモしてくれている。ありがたい。

スクリーン代わりの壁には、YAMAHAの壁付けスピーカーを設置する。ここに至るまでは、ビックカメラやヨドバシカメラに何度となく足を運んだ。白い壁に黒いスピーカーは嫌だった。白壁に白スピーカー、壁埋め込み型ではなく、壁取り付け可能なもの、それなりの音質は必要だけど価格は抑えたいという面倒な条件を次々言う私に、ヨドバシの音響担当の方が「ひとつだけあります。こちらです。」とベストな商品を案内してくれた。アンプ内蔵だから、別にアンプを買う必要もない。その代わり、マトリックスセレクターという機材につなぐことで、AV機器を4台まで接続可能にする。スピーカーからの天井裏を伝う配線は、ちょうど10mの光ケーブルでうまくいきそうだ。調査に調査を重ねて、ようやく結論が見えてきた。

そういえば、プロジェクターでテレビを映すにはどうしたらいいんだろう。深夜に調べていくと、壁にテレビ配線があれば、HDD/DVDレコーダーからプロジェクターへと接続することでうまく映写できるようだ。壁を塞いでしまう寸前で「寝室のPC棚にTV配線を一つ追加してください」とメールをした。



プロジェクター、スピーカー、ウーファーがうまく収まるサイズに作ってもらった。
a small, good thing
ハイテク物件
2016.01.19 Tuesday - comments(0)
2015/10/23

先週、配線打ち合わせをしたものの、時間が足りなくて納得できないまま帰ってきてしまった。このまま家づくりが進んでしまうと後々後悔しそうだったので、再度鹿嶋へ行き、配線の最終確認をしてきた。

建築家の宇野さんとすべての部屋を細かくチェックする。スイッチの位置、コンセント、照明の位置とおおよその形など。まだよくイメージできていないこともあったけど、もう決めないと先に進まない。生活動線を歩いてみると、「なぜここにスイッチがないの!」とか「照明位置が高すぎる、変更したい」という細かな修正がいくつもあった。

一通りチェックしたところで、今度は電気屋さんと一緒に全箇所をまわる。日本の照明はとにかく明るすぎる。とはいえ、オランダの照明は暗すぎたなと過去を思う。ダウンライトを7個から4個に減らしたいと言うと、みんなが口を揃えて「年を取ったら見えなくなる!悪いことは言わねえ。電気はいっぱい付けておけ!」と説得された。それでもやはり一部分は減らして、あとは数は減らさずに100Wを60Wにしてもらったり、細かく見直しをした。例えば、寝室のダウンライト4つを2つに減らし、枕元にブラケット照明を設置するなど、その空間をイメージしながら丁寧に決定していった。

宇野さんが「一般住宅でここまで配線が複雑な家は見たことがない。クリニック並みだ」と言う。職業上仕方がない。ワークスペースの配線は一番複雑で、これが週明けにはすべて壁の中に収まる。
a small, good thing
全部リクシル!
2016.01.18 Monday - comments(0)
2015/10/16

住所は潮来でもなく、神栖でもなく、鹿嶋にこだわりたかった。そして窓や住設機器に関しても、いくつかの選択肢があるのなら、LIXILを選びたかった。鹿島アントラーズの胸スポンサーはLIXILなのだ。たとえば、鹿嶋にポラス(浦和レッズの胸スポンサー企業)で家を建てる人はまあ少ないだろう。そういう理由だ。ただ、去年設計契約を破棄した女性建築家のAさんは、私のこの意見を全然受け入れてくれなかった。いくら「LIXILさんでお願いします!胸スポンサーさんなんです!」と言っても、「いいえ、この窓はYKKにします」といって譲らなかった。いくらサッカーに興味がないとはいえ、施主の意見より自分のデザイン優先で、まったく話にならなかった。

Aさんとしては、YKKじゃないと実現できない美しいデザインに設計したのだから、施主といえども素人が私の設計を却下するのは許さないという強気な態度だった。「ガラスとガラスが直角に繋がる部分にどうしても柱を入れなくないから、ここはYKKじゃないとダメなの」という主張は、私にとっては正直どうでもよかった。むしろ、そんなデザインは却下してでもLIXILにしたかった。だってそうでしょう、鹿嶋でYKKはないでしょう!

こういう事案が300はあったと思う。設計は私の思うようには進まず、Aさんの好みで進行していった。どうしたら私の意見を聞き入れてくれるのかと随分とくだらないことで悩んで、悩んで、悩んで、打ち合わせを重ねるごとに自分が住みたい家じゃなくなっていった。そんな時期に、現場のご近所にあるビストロノリーナさん(おいしい洋食屋さん)でオーナーさんと話をする機会があった。「ノリーナさんの窓ってYKKですか?」と聞くと「うちは全部LIXIL!」と即答だった。

「うちは全部リクシル!

私もそう言いたい。
せっかく鹿嶋に家を建てるのだから、うちも全部LIXILと言いたい!

契約破棄した後、今建築中の家の窓は、私の願いが叶って全部LIXILになった。建築家の宇野さんが「ていうか、LIXIL以外に選択肢あるの?一般住宅 の窓って言ったらシェアの5割以上はLIXILで、わざわざLIXIL以外選ぶ理由はどこにもない。安いし。」と言って、私が大いに悩んでいたあの頃は一体なんだったのだと思うほど、あっさりと私の望みを叶えてくれた。


うちはトイレもキッチンもLIXIL様。当然です。
a small, good thing
らせん階段
2016.01.18 Monday - comments(0)
2015/10/25
疲れが取れないなと思ったら、今月もう鹿嶋を5往復していた。なるべく現場立会は、鹿島アントラーズの試合日に合わせてもらいたいと希望を出していたが、そううまくはいかない。

最初に一人暮らしを始めたアパートは、洗濯機が外にあった。しかも二層式。次の百合ヶ丘の家は洗濯機が室内にあってうれしかった。国分寺のアパートは、憧れのロフトがあったけど、熱気が籠もって何度も脱水症状になりかけた。久我山のアパートに引っ越して、初めてトイレとお風呂が別々になった。西荻のテラスハウスには駐車場が付いて、高校生のちびと二人暮らしをした。オランダ移住に失敗したあと、西荻駅前の小さなアパートで1年間借り暮らしをした。今の阿佐ヶ谷にきて初めてソファと洗面台のある暮らしを始めた。もう小さなキッチンで歯みがきをしなくてもいいと思うと、うれしかった。

将来、らせん階段のある家に住みたいとずっと思っていた。たぶん二十歳頃からそんな妄想を言い続けてきたので、鹿嶋の家の話を聞いた友人たちは「で、らせん階段はあるの?」と聞いてくる。もちろん、玄関ドアを開けたら念願のらせん階段だ。

契約した工務店が、ちょうど我孫子で施工中の家にらせん階段が付いているというので、現場まで車を走らせた。その家には確かにらせん階段はあったけど、好みではなかった。同じ鉄骨屋さんに製作依頼するというので、その仕上がりや雰囲気だけをその日は確認した。

私が好きならせん階段は、もっと支柱が太い。でも太すぎてはいけない。手すりを支える鉄骨の数や太さも細かく書き込んだプレゼン資料並みの提案書を作って建築家に送ると、らせん階段の図面ができあがってきた。それを今度は鉄骨屋さんが詳細図面に作り直している。床との接地面や強度についても、細かく指示をする。

こんなふうにして、らせん階段の製作がいよいよ始まるのだが、既に壁も屋根もできあがっている。じゃあどうやって家の中にらせん階段を入れるのかというと、一部の屋根をパカッと外して、クレーンで上空から吊り入れるのだそう。たぶん、らせん階段の製作はもっと早く進めるべきだったんじゃないかと思う。

これからもっと年を取ったら、らせん階段を上り下りするのも億劫になるかもしれない。でも、これだけは叶えたかった。イメージ通りにできあがるかは、設置されるまでわからない。心配は尽きない。



追伸:
後日、母親にらせん階段の話をしたら、「おめえは昔っかららせん階段!らせん階段!って言ってたからなあ!」と言われた。あの人にらせん階段の話をしたのは初めてだと思ってたのに。
a small, good thing
ヘリンボーンとサイディング
2016.01.18 Monday - comments(0)
2015/10/23

何が何でも無垢のフローリング、しかもヘリンボーンがいい!と言い張っていた。ただ、予算がかなりオーバーしていたので、ヘリンボーンにするのも危ういところだった。

最初に諦めたのは、外壁の白い壁だ。職人さんに吹き付けてもらうのをやめて、パネルを貼り合わせることでかなり減額できた。パネルは最後まで納得いくものがなくて、「遠目には白壁に見える」というサンプルをいくつか見せてもらって、最終的にはトステムだからと妥協した。(トステムはLIXILのブランド)

パネルのサンプルはずっしりと重かった。かなりしっかりしているが「これボールを蹴ってぶつけたら割れますかね」と聞いたら、「誰が蹴るかによります。鈴木さんが蹴ったくらいのボールでは割れません。鈴木さんの好きなアントラーズの柴崎くんが本気で蹴ったら、まあ割れるでしょう」と笑った。割ってほしい!ぜひ柴崎くんにヒビを入れて欲しい!と妄想に走る私を見て、建築家の宇野さんが「割ってもらえ!」と投げやりに言う。

そんなこんなで、いろんなことを諦めてヘリンボーンは死守した。青森出身の大工さんが取扱説明書を見て途方に暮れていた。「おれ、こんなのやったことねえど。たぶん一生のうちこれ一回だげだな」と心配そうだった。「おれやったことねえ、こんなの見たこともねえ」と聞いて心配になったのは私の方だ。板を1枚ずつ貼り合わせていく大工さんを思って「本当にすみません、腰痛めないでくださいね」と言うと「もう今腰痛え」と。

板の微妙な色の違いもうまく見分けて、かわいく仕上げて欲しいと、欲を言えばきりがなかったが、大工さんにはその「かわいい感じ」がわからない。できてからのお楽しみということで、お任せしてきた。

今日の現場立ち会いは約9時間。まだ階段がないので、ハシゴを上ったり降りたり。
移籍(という名の引っ越し)まであと3ヶ月。
a small, good thing
Kashima
2016.01.18 Monday - comments(0)
住み慣れた東京を離れて、茨城県鹿嶋市に引っ越すことにした。しばらくの間、facebookに書いていた進捗を、そろそろ公開しようと思う。

2015/10/8

昨日、鹿嶋の家が上棟を迎えて、ようやく平面から立体になって思うことがたくさんあった。ここまでの家づくりは、身近な人にはちょっと話していたけど、建築家との契約を白紙にする出来事もあったりで、なかなか思うようにはいかなかった。オリンピックのエンブレム問題や、国立競技場の設計白紙撤回、サッカー日本代表アギーレ監督解任など、「白紙」のニュースが多かったから、そういう流れにあったのかもしれないけれど、もう家づくりは辞めようと思うほどに消耗して、心身共にバランスが崩れてしまった。

最初に設計契約した女性建築家は、打ち合わせを重ねるごとに態度が横柄になっていき、最後は打ち合わせの席で意見すると「施主がつべこべ言うもんじゃない!」と吐き捨てるようになっていた。スケジュールの遅れを指摘すると「私をやる気にさせてくださいよ」とお客の私に対して言う始末だった。この建築家は、施主のお金を使って自分好みの家を設計するという最悪の人だった。だから、私が希望と言うと、あからさまにため息をつく。私が女一人で家を建てること、建築家自身より若いこともあって、完全にナメていたし、真逆の上下関係が出来上がっていた。払ったお金は戻ってこなかったけど、あのとき契約破棄してよかったと、上棟した家を見てようやく思えた。

そもそも家を建てようと思ったのは、震災が大きく影響している。実家はもう完全に放射能に汚染されたし、親戚一同、土地も家もほぼ全滅してしまった。そのこともあって、都内に手頃な中古マンションを買うよりも、土地を買うところから始めようと思った。鈴木家の歴史を、更地から始めようかと。

便利で住み慣れた東京を離れるのは、だいぶ勇気が必要だった。同時に、上京してからずっと東京に居続けることに疑問も持っていた。これから先も東京で高い家賃を払って、今の生活を維持していく自信はまるでなかった。老後も収入を得ながら、女一人でも生きていくための方法を考えた結果が、鹿嶋の家だった。結局、6LLDDKKという一人暮らしの家にはあり得ない間取りになってしまったが、将来について考え尽くした結果がこの形だった。

家づくりを経験した人によると、眠れない日々が続くとか、気が狂うほど悩んだとか、それはもう夫婦で喧嘩が絶えなかったとか、命を削ったとか、いろんな話を聞く。それを今、身を持って体感している。できることなら、設計もお金のことも、身近に全部打ち明けられる人がいればどんなにラクかと思う。それを、一人で仕事の合間を縫って、日々やっている。現場での確認も増えてきたので、試合のない日も鹿嶋まで車を走らせる。その分仕事が遅れれば、サービスエリアやファミレスで仕事をしたり、睡眠時間を削る。

正直、お金はない。弟を高校卒業させるために、だいぶお金を使ってしまった。育児放棄した親は、弟の養育費を送ってくれなかった。一時期は兄の医療費も毎月仕送りしていた。父親が生活費に困ると、現金書留で送ることもあった。その父親も、震災の避難中に離婚して他人になった。大学生の頃も、仕送りはなかったから奨学金とバイトでやりくりした。奨学金は、社会人になって貯金ができたときに、一括返済した。とにかく、働いても働いても、お金は消えていった。そんな中貯めたなけなしのお金を、この家につぎ込むことにした。こんな日がいつか来るかもしれないからと、自分の会社の経営は常に黒字でやってきたので、銀行にも話はしやすかった。

どの家にもきっとたくさん思いが詰まっていると思う。私もまた、この鹿嶋の家にはたくさんの思いが詰まっている。もし、私の寿命があと5年だとしても、家は建てたかった。世界中の建築を見て歩くのが好きだったからだ。やりたいことはなるべく全部やってから死にたい。

完成までまだやるべきことが山ほどある。慎重に着実に、カタチにしたいと思う。
a small, good thing
大熊のこと
2015.09.10 Thursday - comments(1)
実家のあった大熊町は、作業員の町になった。国道6号線から東側(海側)は中間貯蔵地域に決まって、うちはこの地図の左下、6号線よりも山側だったので、中間貯蔵は免れた。免れたからどうということでもない。相変わらず警戒区域で立入禁止で、もうとっくにこの町のことは捨てた。

東京から続いている6号線は、仙台方面まで開通したが、バイクなどの二輪車は通行禁止。車も通行時は窓を閉めた方がいいと思う。それだけこの町は他と比べても線量が高い。だからといって、この町を行き来するくらいで死んだりはしない。ここで日々働いている人は何千人もいる。これから先、何十年も人が消えることはない。福島第一原発の廃炉作業は、私が死んでからもずっと続くのだろう。

母親は避難先を転々として会津若松に辿り着いた。新しい町での新しい生活を案外気に入っている様子だった。避難中に両親は離婚した。父親はもう定年を過ぎているけれど、原発内で溶接の仕事をするベテランの職人だったので、たぶん今も必要とされているんじゃないかと思う。南相馬辺りに住んでいるという噂を聞いた。元々、私とは血が繋がっていないし、暴力も激しかったので、世界のどこかでまあがんばって生きてくれればいい。

18歳まで過ごした私の町。こんな町がもう増えて欲しくない。

a small, good thing
1 / 93 >>
[ - ]  RSS1.0 / Atom0.3
ENTRIES
TWITTER
CATEGORY
ARCHIVES