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Kashima
2016.01.18 Monday - comments(0)
住み慣れた東京を離れて、茨城県鹿嶋市に引っ越すことにした。しばらくの間、facebookに書いていた進捗を、そろそろ公開しようと思う。

2015/10/8

昨日、鹿嶋の家が上棟を迎えて、ようやく平面から立体になって思うことがたくさんあった。ここまでの家づくりは、身近な人にはちょっと話していたけど、建築家との契約を白紙にする出来事もあったりで、なかなか思うようにはいかなかった。オリンピックのエンブレム問題や、国立競技場の設計白紙撤回、サッカー日本代表アギーレ監督解任など、「白紙」のニュースが多かったから、そういう流れにあったのかもしれないけれど、もう家づくりは辞めようと思うほどに消耗して、心身共にバランスが崩れてしまった。

最初に設計契約した女性建築家は、打ち合わせを重ねるごとに態度が横柄になっていき、最後は打ち合わせの席で意見すると「施主がつべこべ言うもんじゃない!」と吐き捨てるようになっていた。スケジュールの遅れを指摘すると「私をやる気にさせてくださいよ」とお客の私に対して言う始末だった。この建築家は、施主のお金を使って自分好みの家を設計するという最悪の人だった。だから、私が希望と言うと、あからさまにため息をつく。私が女一人で家を建てること、建築家自身より若いこともあって、完全にナメていたし、真逆の上下関係が出来上がっていた。払ったお金は戻ってこなかったけど、あのとき契約破棄してよかったと、上棟した家を見てようやく思えた。

そもそも家を建てようと思ったのは、震災が大きく影響している。実家はもう完全に放射能に汚染されたし、親戚一同、土地も家もほぼ全滅してしまった。そのこともあって、都内に手頃な中古マンションを買うよりも、土地を買うところから始めようと思った。鈴木家の歴史を、更地から始めようかと。

便利で住み慣れた東京を離れるのは、だいぶ勇気が必要だった。同時に、上京してからずっと東京に居続けることに疑問も持っていた。これから先も東京で高い家賃を払って、今の生活を維持していく自信はまるでなかった。老後も収入を得ながら、女一人でも生きていくための方法を考えた結果が、鹿嶋の家だった。結局、6LLDDKKという一人暮らしの家にはあり得ない間取りになってしまったが、将来について考え尽くした結果がこの形だった。

家づくりを経験した人によると、眠れない日々が続くとか、気が狂うほど悩んだとか、それはもう夫婦で喧嘩が絶えなかったとか、命を削ったとか、いろんな話を聞く。それを今、身を持って体感している。できることなら、設計もお金のことも、身近に全部打ち明けられる人がいればどんなにラクかと思う。それを、一人で仕事の合間を縫って、日々やっている。現場での確認も増えてきたので、試合のない日も鹿嶋まで車を走らせる。その分仕事が遅れれば、サービスエリアやファミレスで仕事をしたり、睡眠時間を削る。

正直、お金はない。弟を高校卒業させるために、だいぶお金を使ってしまった。育児放棄した親は、弟の養育費を送ってくれなかった。一時期は兄の医療費も毎月仕送りしていた。父親が生活費に困ると、現金書留で送ることもあった。その父親も、震災の避難中に離婚して他人になった。大学生の頃も、仕送りはなかったから奨学金とバイトでやりくりした。奨学金は、社会人になって貯金ができたときに、一括返済した。とにかく、働いても働いても、お金は消えていった。そんな中貯めたなけなしのお金を、この家につぎ込むことにした。こんな日がいつか来るかもしれないからと、自分の会社の経営は常に黒字でやってきたので、銀行にも話はしやすかった。

どの家にもきっとたくさん思いが詰まっていると思う。私もまた、この鹿嶋の家にはたくさんの思いが詰まっている。もし、私の寿命があと5年だとしても、家は建てたかった。世界中の建築を見て歩くのが好きだったからだ。やりたいことはなるべく全部やってから死にたい。

完成までまだやるべきことが山ほどある。慎重に着実に、カタチにしたいと思う。
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